「普通」の移り変わり
「一般向けにはもっとカンタンなモノを」のそのウソホント?というエントリより。
それって面白いねぇ。でも普通の人は ワカンナイ よ。 普通の人向けには、もっとカンタンで判り易いものじゃないと。 私は最近、こうした考え方は実に危険だ、と考えるようになりました。 既に製品・サービスを使いこなしている側の人間から見た、 「普通の人」像は、何かがおかしいのです。
と言うことなんだけど、確かに一理あるなと。メーカーやら提供する側の人たちの「一般向け」は単なる押しつけになってる場合が多い。
で、10年経てばマニア向けと思われてたものも普通になるってことなんだけど。これって当たり前かもしれないよ。元がいい物だったら時間の経過とともにゆっくり広まっていくのはなんか自然な気がするし。ただそれでも受けようと思ってる人たちは一秒でも早く「普通」になるように色々手を打つわけで。一時期やたら取り上げられた「口コミ」なんてのも普及ペースを速める方法論の一つなのかな。
無理矢理批判するとしたら、数年も経てば使いやすさの面でも当然進化してるわけで。iTunesだって最初からあのすぐれたインターフェイスだったわけじゃないし。あとは一過性の流行じゃないかって見方もある。ただデジタルオーディオプレーヤーについて言えばもう流行だけではなくて定着しつつある。めでたく「普通」の仲間入りだね。
ただやっぱり何でも時間が経てば定着するかというとそういうわけにはいかない。PCを使える人がいくら多くなったって「使いづらい」という感触はぬぐえない。これは自分も含めて「普通に」PCを使ってる人だってよく感じるだろう。潜在的なストレスになってるはずだ。
「ぜんぜんわかんなーい」ってひとにも使えるモノであるのは前提条件じゃない?そこら辺Appleはよく考えてると思う。CDを入れれば勝手にインポートしてはき出す。iPodを繋げば勝手に同期してくれる。iPodだって操作系は前へ、再生一時停止、次への3つと、決定、戻る、上下(タッチパッド)の3つだけだ。初めてさわった人でもとりあえず使える。
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