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2006年9月

ケータイのWeb2.0

ハードの機能強化に行き詰まって、明確なアピールポイントを失いかけていた携帯業界が向かった先はサービスでした。

それまでちらほらと対応していた音楽再生関係の機能強化にどっと取りくみだしました。着うたや着うたフルです。PCと連携してCDの音楽をケータイに取り込んで再生できるようにもなりました。

音楽機能の強化では着信音の和音数を増やす流行がありました。けれども大きく違っている点は、スペックを前面に押し出していない点です。

着信音の和音数は単音から3和音、16和音、64和音と明確に数字で見えるハードスペックを売りにしていました。
けれども昨今の音楽再生機能では、数字で見えそうな音質などは、はっきり言って全く重視されていません。bpsやらコーデックやら、一応目に見える形でのアピールもできるのですが、ほとんどしていないです。というか、むしろ隠しています。

これはPCからの流れであまり技術的な話をしてもケータイを買う人に理解してもらえないのと、メーカーの狙いが新規にケータイを買ってもらうことよりも、買ってもらったあとにいかにサービスを利用してもらうかに重点を置いているからだと思います。

ご存じのように日本ではケータイの普及がかなり進み、もう持っていない人を探す方が難しくなりました。
今までは契約者数を増やすことがすなわち利益を増やすことに繋がっていたわけですが、増える余地が少なくなってきたために、既に持っている人からいかに余分なお金を取れるかに狙いを移してきています。

つまり、パケット定額制に入ってもらった上に着うたなどのサービスを購入してもらい、さらにお金を頂こうというわけです。そのためには端末自体のスペックより「使ってみよう」と思わせるサービスを開始して、実際に使ってもらわないといけません。今までは機能を売りにしておきながら売りっぱなしのところもありましたが今度はそうも行きません。メーカーが考えるWeb2.0的な考え方とサービスがこれから色々出てくるでしょう。

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ケータイのカメラ

携帯電話にも結構流行があります。適当に列挙すると

ディスプレイのカラー化、大型化、高画素化
サブディスプレイの高性能化
着信音の和音数増大
Web機能の高性能化
カメラの高画素化
音楽機能の高性能化
通信速度の高速化

こんなところでしょうか。
手のひらに収まるサイズに技術を集積するのは技術の進歩の最終形で、携帯電話はもろにその影響を受けてきました。カメラ機能はその最たるものではないでしょうか。

カメラ機能は画素数という直接数字で表せる機能があったために宣伝文句として使いやすい側面があります。ディスプレイサイズや画素数、着信音の和音数なども同様です。

ただし、カメラの場合は画素数だけでは最終的な写真の出来を語れない部分があって、消費者の誤解を招きやすいんではないかなとも思うのです。

一時期はとにかく画素数が多けりゃ高性能!みたいな感じでしたが、最近はそれも落ち着いてきて、オートフォーカスや手ぶれ補正など別の面をアピールしているのはちょっとほっとします。

逆に言えば、携帯電話の世界ではもうカメラ機能は付いていて当たり前になってしまって、客の興味を引きつけるポイントになりにくいということです。つまり、枯れたわけです。

で、次の流行に向かっていったわけですが、今まではどちらかというとハードの機能を強化する方向で動いてきました。でも最近はそろそろ携帯電話に載せられそうな機能はあらかた載せてしまって、ちょっとした行き詰まりです。

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ケータイの形色々

ストレート→2つ折り→2軸ヒンジ→2つ折り

携帯電話の形状は大体こんな形で推移しています。それぞれに特徴がありますが、日本では2つ折りが最もオーソドックスな形状として認識されていますよね。それぞれの特徴として

ストレート:小型。携帯に適している
 2つ折り:ディスプレイとボタンを大きくできる
2軸ヒンジ:2つ折りの特徴に加え、カメラ、テレビ機能の強化に対応

こんなものが挙げられます。ただ闇雲に形状が変わったんではなくて、小さいスペースに新しい機能と流行を取り入れようとした結果、どんどん形状が変わりました。

2軸ヒンジはかなり柔軟な動きができるので、一時期2つ折りに完全に取って代わるのでは?と思いましたが、実際に使ってみるとその柔軟な動き故に単純な開く・閉じる操作がしにくかったり、背面液晶がないので微妙に機能性で劣ったりと、使いやすさにやや難があったように思います。

また、カメラの高性能化の流行も一段落したほか、カメラユニット自体が小型になり数百万画素のカメラをディスプレイ側に配置してもデザイン上問題なくなったのも2軸ヒンジが少なくなった原因でしょう。

一方でワンセグ搭載機種では画面を横向きにして視聴するスタイルがあるために、2軸ヒンジを必要とする場合もあります。個人的にはサイクロイドスタイルは面白いと思うし歓迎していますが、定着するかというと微妙です。

変則としてスライド形態があります。キー側がスライドして出てきます。大概はディスプレイ側にソフトキーが付いているので小さいままで操作できるのが特徴です。ただしダイヤルキーとソフトキーに段差があるのでメールを良く打つ人には鬼門のようです。

私は奇抜なギミックが大好きなのでもっと変態形状な端末が出て欲しいな、と思いますが長く使うならやっぱりオーソドックスな2つ折りが無難かなと思います。

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最先端なケータイ

ケータイは道具でありながら、娯楽でもあります。
娯楽は儲かりますが、飽きられたりするとあっという間に廃るので、常に流行を取り入れます。
というか、最近は流行を作り出しています。

これは、とてもクリエイティブな事じゃないでしょうか。
目の前の風景を写真にとって、コメントをつけて、世界中に伝えられます。
写真を撮る。文章を書く。相手に伝える。これらは昔からあるし、もちろん絵はがきやら、あるいはPCとデジカメを使ってもできる。

でも、たった一つの道具で全てを完結できるのはケータイだけです。これはすごい。
色々なことをくっつけて、全く新しい、あるいは今までにないくらい手軽に色んな事ができる、そういう可能性がケータイにはあるんじゃないでしょうか。

私がケータイに惹かれるのはこのためです。たぶん。

でも最近ちょっと違和感を感じるのは、ある機能を極端に強化して、とりあえずネットに繋げさせればそれでいいじゃないか、みたいな流れがあることです。あまりに見え見えで、あざとくて、ちょっと嫌です。

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コミュニケーションのツール

「最近の携帯電話は単なる電話にとどまらない、総合的なコミュニケーションのツールと言える」

…自分で書いていて気持ち悪くなりました。

色んな機能が訳がわからない濃度で詰め込まれてるのが昨今の携帯電話ですが、バラバラに見える機能群もある方向性を持っています。

それが、コミュニケーション。
コミュニケーションは色々なとらえ方をされてますが、私は日本語で「分かり合うこと、あるいはそのための努力」と理解しています。

分かり合う相手は人間に限定されません。あるシステムだったりします。サービスであったりします。
もう、乱暴に言ってしまえば通信です。

分かり合うためには、情報を送るには、愛を伝えるには、そのモノを媒介するものが必要です。メディアです。
媒介するもの、あるいはその動きは最終的には物理的なエネルギーに置き換えられます。コストです。

繋がるためにはカネが必要です。
電話、メール、写メール(死語?)デコメール、テレビ電話はもちろん、着うた、おサイフケータイなど、
リッチなコミュニケーションにはリッチなマニーがいると。

これがなくては携帯電話の会社は儲かりませんから、ありとあらゆる方法であなたをどこかへ繋げようと手ぐすね引いてるわけです。

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「私、ケータイ使えます」

携帯電話を使えるとはどういう事なのか。

電話ができる。
メールが打てる。
着信音をダウンロードして設定できる。
フル着うたをPCから取り込める。
カメラで撮った写真をブログで公開する。
JRに乗れる。

できることがありすぎる。

書いていて思ったのだけど、最近のケータイってなんか小学生があこがれる滅茶苦茶ギミック溢れる筆箱みたいですね。
で、私みたいなケータイヲタはそのギミックを完全に使いこなそうと必死になってるわけです。

機能が沢山あることは確かに良いことです。
が、機能があればあるほどそれ自体が「何なのか」が、だんだん曖昧になってくる。

携帯電話ではなくてケータイ。
電話もできるPC。
ありとあらゆる手段を使ってお金を吸い取るマシーン。

最終的にどんな形に落ち着くのか、想像もできません。

使えるって結局どういう事なんでしょうか。
私は、乱暴ですが、「電話がかけられて、受けられればいいんじゃね?」って思ってます。

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デカ文字=使いやすさ?

最近は普通のケータイに「簡単モード」のような別のメニューを用意して使いやすさをアピールする端末が増えている。

確かに、あまりに使いやすさを前に出しすぎると
「高齢者向け」
「機械音痴向け」

と取られてあまり売れなくなってしまうのではないか、という危惧するのは無理もない。

それなら、普通のケータイに皮を一枚かぶせて「苦手な人もだいじょーぶ」とソフトにアピールする方がリスクが少ない。うまいやりかただなぁ。

これで問題解決!万歳!で終わればいいんだけど、実際のところは「消費者なめてるんじゃないですか」という皮も多い。

文字がデカければいいのか。
機能を制限すればいいのか。
明朝体ならいいのか。
「正しい」日本語で説明すればいいのか。

そういう皮を剥ぎ取ってしまって、誰でもフツーに使えるようにはならないもんだろうか。いや、できないからこそ色々苦慮しているんだろうけど。じゃあフツーに使えるってどういうことなんだろう?

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使いやすいケータイ

「使いやすいケータイはありますか?」

「そんなものはありません。けどこれは音楽が聴けたりゲームができたり地図が見れたりするのでお勧めです」

「もう結構です」

これではお話しにならない。
ので、「簡単ケータイ」なるものが出てきたんだろうけど、電話ができるだけ、とかあまりに安易だと思う。
使いやすいものを求めている人は必ずしもカメラやメールなんか要らないと思ってない。
むしろちょっと使ってみたいな、と思いつつも躊躇してる人が多いんではないか。

特に、使いやすさを求める人は同時にそれなりにプライドもある人が多い。
電話だけできるケータイを持つ人はケータイで電話しかできない人と見なされる。
これはまずい。

メーカーも気づいたようで最近は機能を落とさない「簡単ケータイ」を出してきている。
Docomoの「らくらくフォン」シリーズの変遷を見るとわかりやすい。

でも、「ちょっとまてよ」と思わないこともない。

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今猛烈に泣きたい

泣きたい気分です。

何が何だかよくわからなくなってます。

疲れてるのかな。

逃げ出したいだけなのか。

自分の気持ちすら疑わしい。

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