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風呂考二題

・直感に邪魔される。

刹那思いつくことが多い。火花みたいで捕まえられないと書いたのは前の通り。
直感は論理的でない。答えは結果的にあってる場合もあるけど、間の議論と経過をすっとばすので、中身がない。プロセスがない。
もちろん自分で最初からプロセスを踏もうとするのだけど、なぜか沸いて出た結果が頭の中をちらついて集中できない。どうしてもそちらに引きずられる気がする。無理矢理反対方向に進もうとしてみたり。もう議論の中心が「直感が合ってるかどうか」になってしまって、本当の議題に集中できない。

このパターンが結構多い気がする。

直感を鍛えて正答率を上げた方がいいのか、それともなるべく感化されないように訓練すべきなのか。どちらも難しい。


・書いてみないと分からないことが多い。

パッと思いつくことは多い。でもそこから先、頭の中だけで展開するのは自分にはとても難しい。
上で書いたとおり論理的でないからかもしれない。
ブログのネタは最初の一言は思いつくけど、そこから先は書きながら考えている。
パスタの生地を薄くのばすような作業。書かないと分からないことが多い。
かなり、出たとこ勝負なので品質がまちまち。ポリシーのへったくれもないので乱雑。
書きたいことを殴り書きし、とっておきたい情報を放り込む場所と化しているので、カオスです。生活感があふれています。
書いているうちに気がつくことも多くて、思考がちょっとずつ整理されていってる気がする。
あらぬ方向にどんどん進んで、当初の目論見なんかどうでも良くなったりもする。
でも、これも一つの結果であり、一つのプロセスなので、卑下せず尊重しましょう、そうしましょう。
自分が思ったことを大事に扱う という言葉が浮かんだ。ポリシーといえばこれがポリシーか。

書きながら、何度もその時点まで自分が書いたものを読む。反芻する。
ちょっとした誤字脱字を見つけて修正。何を書いたのか分からないのでパンくずをたどる。
記憶力がないので、さっきまで書いたことも忘れてる。あまり良くないけど、書きながら考えるのは自分に合っている気がする。

ちょっと前にケータイの文字入力がどうの、iPhoneがどうのと書いたのも、その書きながら考えられる道具であって欲しかったからかもしれない。
自分の思考を写し取れる道具はいくつあってもいい。いつでもそこにあってほしい。

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