クサい話
今日はカウンセリングを受けに行きました。
ここ最近の調子を聞かれて、割と調子いいですーと答えました。
で、ほんとに最近あまり困ってることがないので話のネタがなくなってしまった。
それで、ちょっと考えた上で話してみたのは、自分のものごとの受け止め方についてでした。
思えば物心ついたときからずっとひねくれた考え方をしてたなあと。
日常でなんか楽しいor嬉しいこと、たとえばアイス食べたとか、ちょっと他人からほめられたとかありますよね。
そこで素直に「おいしー!」とか「うれしいなあ」と普通なら受け止められるはずなのに、
自分はできてなかったなーと。
どう受け止めていたかというと、「こんなアイスで満足していてはいけない!」、「ただのお世辞でほんとはそんなこと思ってないんだろうなあ」
ちょっと大げさにしてみましたがこんな感じです。
なんつーか、自分の感情に一々ケチつけてる感じです。
今思い返すと非常にばかばかしいです。
でもほんとにこんな感じだったと思います。心から100%嬉しいとか楽しいとか思えなかったです。
その頃の自分は、こういうケチつけについて「自分で自分の心のバランスを保ってるんだ」と思ってました。
つまりプラスの感情にはマイナスの感情をぶつけて相殺しようとしてた(みたいです)。
今ツッコミを入れるとすると、プラスの感情は±0にしようとしてましたが、
マイナスの感情にはプラスの感情をぶつけて±にしてたかというとそうではなかった気がします。
マイナスの感情はマイナスのままがっつり凹んだりしてた。
意味不明です。破綻してますよね。
そもそも±0にする理由がわかんないし。
こんな感じであんまり嬉しくも楽しくもない生活だったので、「人生ってつまんないし苦しいだけだ」
と思ってました。そりゃそうだ。
で、今はというと、あっぱらぱーなのかというとそうではないです。
辛いことや苦しいことはもちろんそれとして受け止めます。大切なことですね。
でも一方で楽しいことや嬉しいことも、素直に受け止めて喜んだりはしゃいだりするようになりました。
なりました、というかそうするように自分で考えてしむける感じでしょうか。
自分の自然な感情をまず素直に享受すると大変楽ちんです。
とりあえず100%はしゃいだり喜んだり泣いたり怒ったりします。
その後でなんでそう感じたのかなとか考えます。
「自分はこうあるべきだ!」とか前もってゴチャゴチャ考えてると自然な感情にケチつけたくなりますよね…
たぶん自分の場合はこれが行きすぎてしまって酷かったんだと思います。
それで、ふと思い出したことが。
認知行動療法について書いてある本によく出てくる言葉があって、それは
self-esteem
という言葉です。
英語なのは理由があって、多くの本は英語で書かれたものを日本語訳してるのですが、
訳者によるとself-esteemにぴったり対応する日本語が見つからないので訳がむずかしいとのことです。
self-esteemは一般的には「自尊心」が日本語訳ですが、自尊心というとなんだかプライドみたいな感じですよね。
でも心理学的?にはself-esteemは「自分自身を肯定すること」みたいな意味で扱われているようで、
自分が読んだ本の中でも上に書いた様な意味で使われていました。
「自尊心」を字面の通りに読めば「自らを尊ぶ心」なので確かに合ってると言えばそうなのかなーと。
素人なんで詳しいことはよく分かりませんが。
で、昔の自分にはself-esteemが無かったのかもしれないなーと。
自分で自分にケチつけてたわけですから、自分自身を否定してたんじゃないかなと。
自分自身の否定は自信のなさだったり、「こんなのほんとの自分じゃない!」みたいな考え方になり、
それが行きすぎて「本当の自分はもっとすげーんだぞ!」と変なプライドの高さにつながっていたかもしれないなと。
まあ、全部これで説明できるとは思いませんが、原因の一端はこれだったかな?
病気になって、少しずつ良くなってきて、やっとなんとなくこうやって考えがまとまってきたです。
全否定はしないけど、確かに自分の考え方にはちょっと良くないところがあって、
それはある種技術的に変えられる部分があり、実際にやってみたら確かに楽になった。
この数年のできごとを2行にまとめるとこんな感じか。
「私生まれ変わりました!!!!(゚∀゚ )」みたいなヤバげな実感はないですw
どっちかというと「あーなんかちょっと楽になったかもなー」。
てきとーに書いてみたらわけのわからない文章になりました。
ま、ちょっと元気になったよ、てことで。
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