ぼそっと思った
地震でこう、日常から非日常にバーンと放り込まれた感じで、
一週間?二週間?ぐらいはもうほんとにずっとこわい。
今でも怖い。ときおり余震大きいの来るし。
それでも、ちこっとずつでも日常に戻していかないと体も心もおっつかない。
でも、あまりのバーンな感じになかなか元に戻せない。
受容するにはまだ早すぎる。
それで、平静を保つ、取り戻すための日常行為が大事なんじゃないかと思って、
最近割と積極的に家事をすることにしています。
今は掃除を結構ガッツリ。
ずっと拭けてなかった窓やらをやったり、廊下にたまってる物を片付けたり、もちろん地震で落ちた物も。
家事してる時間はその時間だけでも地震が起こる前と変わらない時間な訳です。
これは結構良いんじゃないかと思います。
被災地(という言い方もあまりしたくないんだけど)の避難所の様子が報道されていて、
ある避難所では生活エリアからちょっと離れたところに椅子とテーブルを置いて、コーヒーやお茶を出すようにしていました。
そこでお茶を飲んでいたおじさんやおばさんの表情が本当ににほっとした感じでした。
たぶん、避難されてる方が必要とされているものごとというのは時間とともにどんどん変わっていく物で、
それは最初は水食料燃料なのがだんだんと精神的な、心の手当てがいるのかなと思わされました。
タダで物資を送ってやってるんだから贅沢言うな!的な意見が出たりもするかもしれない。
避難所毎に提供されるあれこれの質の差というのもあるかもしれない。
なんかでも、そういうの、もし自分がその避難所にいる人だったらどうだろうかと考えると消える。
自分の想像力は小さく矮小です。その矮小さをもってしてもあまりに被害が大きすぎます。
3行上で立場を変えて考えてみよう的なことを自分で書いておいて何ですが、
100%その人の立場にたって考えるなんて未来永劫無理です。無謀だし失礼です。
それでもなんとかわかってみようと思うのが人間で、本当に必要な物はなんなのか真摯になって考えるべきじゃないかと思います。
あまり「べき」って使いたくないんですがこれは「べき」です。
と、ぼそぼそ書きましたが割といつものテンションの記事もぼちぼち書いていこうと思います。
自分にとってはふつーのブログの記事を書くのも日常のひとつなんです。
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